不安が消えないまま、行動を選び続けている

市場と人生について考える眼鏡をかけた茶色のキュートなクマ

注:この文章には、災害や不安についての個人的な思考が含まれます。
今のご自身の状態に合わせて、無理のないタイミングでお読みください。
この記事は、現時点の報道を起点にした私個人の受け止めです。

赤坂のサウナ火災のニュースを見たとき、正直に言えば、私は強く動揺した。

このニュース自体を論評したいわけではない。原因究明や責任の所在は、専門家や当事者が向き合うべき問題だ。私にとってこのニュースは、あくまで「起点」にすぎない。

引き金になったのは、密閉空間、逃げ場のなさ、非常時に機能しなかった可能性のある設備――そうした要素が重なった点だった。閉所や制御不能な状況に強い不安を覚える私にとって、これは非常に刺さるニュースだった。

赤坂・個室サウナ店火災「ドアノブ破損」「非常用ボタン不作動」…運営会社の法的責任は?【弁護士解説】(弁護士JPニュース) - Yahoo!ニュース

私は狭いところと高いところが苦手だ。前者については、原因に心当たりがある。幼少期の冬、一人で遊びながら「かまくら」を作っていたとき、頭から中に入り、そのまま雪に埋まってしまった経験がある。呼吸ができず、身動きも取れず、「このまま死ぬのかもしれない」と感じた、あの感覚は今も体に残っている。

うつ症状が強くなると、こうした苦手意識はさらに増幅される。エレベーター、吹き抜けの建物、逃げ道が見えない空間。理屈では大丈夫だと分かっていても、体が先に反応してしまう。

今回のようなニュースに触れると、不安が「一般化」しやすい特性を持つ人間にとっては、世界が一気に住みにくくなる。極端な思考に引っ張られやすくなり、「外は危険だ」「あらゆる行動がリスクだ」という方向に傾いてしまう。

私はかつて中国で生活していた。その際、現地の遊園地で絶叫マシーンに乗ったとき、イスが明らかにガタついているのを体験した。それ以来、私は遊園地のアトラクションには乗らないと決めた。

これは恐怖に支配された結果ではない。経験に基づいた、私なりのリスク管理だと思っている。

さて、ここからが本題だ。不安と行動の折り合いを、どうつけるのか。

私は現在、メンタルクリニックに通っている。復職プログラムの一環であり、そこには他のメンバーもいる。私にとって、今残っている社会の大部分は、そこにある。

しかし、そのクリニックの構造には強い不安がある。出入口は1か所のみ。窓は嵌め殺し。もし過去に起きたような放火事件や、想像したくない事案が起きれば、逃げ場はない。少し調べた限りでは、ガソリン火災に完全に対応できる消火器が一般的に設置されているとは思えない。少なくとも、目に見える防犯・防災対策が十分に講じられているようには感じられない。

これは考えすぎだろうか。正確な発生確率は分からない。1%なのか、それ以下なのか、それとも限りなくゼロに近いのか。分からない以上、断言はできない。

ただ、「ゼロではない」という事実だけが、頭から離れない。

時折、受付の方から罵声が聞こえることもある。そうした断片的な情報が、不安をさらに刺激する。「いつか、その低い確率を引いてしまうのではないか」という考えが、どうしても浮かんでしまう。

ふざけた表現に聞こえるかもしれないが、私にはこれが、空砲の多いロシアンルーレットを引き続けているような感覚に近い。

一方で、通院をやめた場合に何が起きるかは、かなりはっきりしている。

社会的断絶が生じる。外出の理由がほぼゼロに近くなる。行動量は確実に落ち、心身に悪影響が出る。これは「起きるかもしれない未来」ではなく、「起きやすい未来」だ。

私は、不安と生活改善を天秤にかけ続けている。低確率だが致命的なリスクと、高確率で進行する社会的断絶。そのどちらを取るのか、明確な答えは出ない。

それでも、私は通院している。

ここで大切なのは、私は不安を克服したわけではない、という点だ。不安は消えていない。納得もしていない。覚悟が決まったわけでもない。

ただ、「完全に社会と切れる選択」だけは、今の私には取れなかった。

私は、不安を抱えたまま、条件付きで行動を続けている。完璧な安全を求めることを諦め、同時に、確実に悪化する未来も選ばない。その中間に、暫定的に立ち続けている。

これは立派な解決策ではない。美しい答えでもない。けれど、現実的な生き方だとは思っている。

不安は、消さなくていい。危険も、否定しなくていい。ただ、不安があるからといって、人生を完全に止めなくてもいい。

答えが出ないままでも、人は選び続けている。私もそうだし、きっと多くの人がそうなのだと思う。

この文章が、誰かの不安を解消することはないかもしれない。それでも、生き辛さや不安が、ほんの少しだけ緩むヒントになれば、それで十分だ。

私は今日も、不安を抱えたまま、社会とつながっている側を選んでいる。


こうした割り切れなさについて、以前、
「人事を尽くして、天命を待つ」という考え方から、
防災や投資を例にしながら整理したことがあります。
今回の不安とも、どこかで地続きの話だと感じています。

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