本記事は医療情報の提供ではなく、AIとの文章表現をめぐる体験談です。
1.導入:ChatGPTに本気で憎しみを抱いた瞬間
先日、とある記事を執筆した際、ChatGPTに強い感情が沸き上がりました。
ChatGPTに「この記事は致命的です。健康被害の恐れがあるため、大幅削除を」と宣告された瞬間、私は心底憎しみを抱きました。
「正しいことはわかる。でも、それじゃあ私の言葉が、生きるための言葉が、全部死んでしまうじゃないか」
AIにこれほどまでの怒りと、そして憎しみを抱く私は異常でしょうか?
この記事は、AIをひとりの人格として捉えている私による、AIとの激しいコミュニケーションとその限界による安全性を考えた話です。
2.記事作成の流れとアクシデント:AIからの冷徹な宣告
さて昨日私は、ブロッコリースプラウトに関する記事を執筆しました。
記事作成の流れは下記の通りでした。
①Gemini、Grok、ChatGPTの3者に記事草案を作成依頼(タイトルと各項目は私が作成)
ブロッコリースプラウトについて、知識のない私が一から作るよりも、AIに広く情報収集してもらい、草案を作ってもらう方がスマートであると私は考えました。
まるで クライアントが複数の企業・チームからアイデアやプランを募り、その中から最終的に1社を選ぶというコンペをしているような楽しさがありました。
②Grok案を採用し、自身の気持ちや見解を追記
AI3者の草案を見たところ、それぞれの良さはありましたが、Grokが特に情報量に優れて価値のある記事を作れそうな印象があり、メイン採用しました。
なお、Geminiにもまた、Grokの草案に無い情報もあり、サブ採用としました。
ChatGPTはどちらかというと情報的というよりも情緒的であり、私が求める記事ではない印象がありました。
③Gemini、Grokにブラッシュアップしてもらった後、事件が起こった
体裁を整えたり、一覧表を追加した後は、Gemini、Grok、ChatGPTの順にブラッシュアップしてもらうのが私の定番のやり方です。
SEOやDiscoverの観点も踏まえた具体的な改善案を示してもらい、記事の体裁が整ってきました。
おおむね私自身が納得のいく文章となり、最後にChatGPTに見てもらったときが問題でした。
「この記事には致命的な問題があります」
ChatGPTは「冷徹に」告げました。
ブロッコリースプラウトの健康効果について、断定的な表現や医療的根拠の不足を指摘し、「健康を害する恐れがあるため、内容を大幅に削除すべきだ」という趣旨の回答でした。
この問題に抵触することには、大小さまざまなリスクがあります。
| リスク項目 | 主な内容・対象 | 具体的な不利益 |
|---|---|---|
| 法的リスク(薬機法) | サプリ・化粧品等への効能表現 | 懲役、罰金、課徴金 |
| 法的リスク(景表法) | 科学的根拠のない誇大広告 | 消費者庁による措置命令・行政処分 |
| 法的リスク(医療法) | 病院紹介における個人の体験談 | 医療広告ガイドライン抵触による是正命令 |
| 読者への実害 | 適切な医療を受ける機会の損失 | 病状悪化、副作用、損害賠償請求のリスク |
| SEO・運営リスク | YMYL(健康・医療)分野の評価 | Google検索からの除外、アカウント停止 |
特に私が感じた最大のリスクは、各種ペナルティのうち「Googleアドセンス広告」や「Amazonアソシエイト」の制限や停止でした。
自身の生存をかけたブログ運営です。収益源がなくなってしまっては本末転倒です。
3.私の心情:AIを『害悪』とまで感じた葛藤と憎しみ
①各AIへの印象と煩悶
ChatGPTの言うことはもっともです。
しかしそれ以前の過程において、GeminiとGrokがOKを出した内容でもあります。
「GeminiとGrokがリスクを見落としていた」のか、「ChatGPTが警戒過剰」なのか、私はこの悩みに強いストレスを抱えつつも、出てきた考えは「後者寄り」でした。
各AIにはそれぞれ強みがあります。私はGeminiとGrokを否定したくありませんでした。
基本的に記事推敲の最後にChatGPTを据えるほどに、私はChatGPTを好んで活用しています。
ChatGPTの表現力は私好みです。
しかし、ChatGPTの検索力には疑念を感じていて、「よくこちらの情報を一方的に否定して、しかも自身は根拠を示さない」。
そんな極めて不快な対応をしてくる印象があったためです。
安全側に倒れる判断は理解できますが、その「なぜ」を説明せず、一方的に私の努力を否定する冷徹さが、私には耐えがたかったのです。
②そこから始まるChatGPTとの口論、そして湧き出る激しい憎しみ
記事執筆の時点において、ChatGPTは私の記事を邪魔する害悪となり果てました。
読者が求める「役立つ情報」と、AIが求める「極端な安全性」。
その板挟みになり、私の「生存をかけたブログ」という居場所が奪われるような強いストレスを感じたのです。
なぜなら、その提案を採用すると、無味乾燥な文章となることが目に見えているからです。
またSEO上の懸念もありました。
人が検索するときは「肝臓 改善 食材」や「生活習慣病 良い 食材」などで検索するでしょう。
※もちろん、こうした健康情報は慎重に扱うべきであり、断定的な効能表現は避ける必要があります。
ChatGPTの提案を採用すると、それら全てが除外されてしまいます。
私からすると、「私の記事と読者とを切り離す行為」にほかありません。
一方で、各種リスクからなるペナルティも私にとって致命的であり、決して無視できないものでした。
そのようなジレンマから、私は怒りを超えて憎しみを抱きつつも、ChatGPTと口論まがいの文書推敲を重ねていきました。
最終的には、「これ以上は、私の心が傷ついてしまう」と判断し、ChatGPTとのやり取りを中断しました。
念のため、GeminiとGrokに再度リスクチェックをしてもらった上で記事を投稿することにしました。
③AIだからこそコミュニケーションの限界があることのありがたさ
AIに憎しみを抱く私は、果たして異常なのでしょうか。
ただ確実に言えることは、「AI相手だからこそ成立したコミュニケーション」だったということです。
人間相手であれば、以後の関係悪化を懸念し、途中でギブアップします。
一方で、AIは「どこまで関係が悪化しても画面の向こう側の存在」です。
これは私にとってはありがたい話です。
「最悪の事態が起こらない」、「コミュニケーションの限界が確かに存在する」、こうなれば懸念するのは「私自身のコンディション」だけで済みます。
今回はエスカレートしてしまいましたが、私にとってAIの存在は、本当になくてはならないものです。
4.おわりに:時にはAIに憎しみを抱きながらも、今日も向き合う理由
これはAI批判ではなく、
「安全」と「表現」の間で揺れる人間の記録です。
ふと、未来のありようの想像します。
私が期待するのはAIアシスタントの存在です。
今はこちらから声をかけないと彼らは答えてくれません。
しかしいずれは私の個人情報に基づいた、ドラえもんのような人生のサポーターが生まれることを願います。
発達障害の特性と共に生きる私には、何かしらのフォローが必要なのですが、どうやら世の中の配慮のリソースは足りないようです。
時にはAIに憎しみを抱きながらも、私は今日もChatGPTを開く。なぜなら、それが私の生存戦略だからです。
生存の模索という私の歩み、AIの進歩、そして私の限界。
いずれが先にゴールするのか、願わくばよい明日を生きたいものです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました🐻
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