「頑張らなければいけないのに、動けない」「未来が不安で、今が苦しい」。そんな夜、私は一人の文豪の言葉に救われました。
しかし一方で、
諦めることとは、可能性を捨てることか?自身を決めつけることか?成長をやめることか?
そう問わずにはいられない私がいました。
1.「人生を諦める」とは?ヘルマン・ヘッセが残した救いの言葉
私が人生を諦めて、自分一個の幸不幸などはどうでもよいと悟って以来、少なくとも人生は、私にやさしくしてくれるようになった。
私がこの言葉に出会った時、まず感じたのは「仏教の意味する諦め(諦観)に近いな」という思いでした。
仏教的には、「(自分自身を含む)物事をあきらかにすること→あきらめる」としています。
あるがままを受け入れる、許容というニュアンスも近いかもしれません。
私が目指している形ではありますが、そこに至るには遠い気がしてなりません。
ここでの諦めるとは、
・可能性を捨てることか?
・自身を決めつけることか?
・成長をやめることか?
このような3つの疑問が湧いてくるからです。
そうしてこれらの否定は、社会一般的には「良くないこと」とされています。
「諦めるということは悪いことなのではないだろうか」と悩む自分、それこそが諦めきれていない自分そのものなのかもしれません。
この3つの自らの問いについて考えてみました。
①諦めるとは、可能性を捨てることか?
いいえ、むしろ「偽りの可能性」に振り回されるのをやめることに近いかもしれません。
「ああなれたかもしれない」「こうあるべきだ」という無限の選択肢(可能性)は、時として今の自分を否定する刃になります。
ヘッセは、外側のきらびやかな可能性を追いかけるのをやめ、「今、ここにいる自分」という唯一の現実に着地することを選んだのだと言えます。
②諦めるとは、自身を決めつけることか?
いいえ、むしろ「自分はこういう人間だ(幸せであるべきだ/不幸であってはならない)」という定義から自由になることです。
「自身を決めつける」のは、自分を型にはめる窮屈な行為ですが、ヘッセの言う諦めは「自分という存在がどう転んでも、それはそれとして受け入れる」という究極の放任です。
決めつけるのではなく、自分という存在を裁く(ジャッジする)のをやめる、ということです。
③諦めるとは、成長をやめることか?
いいえ、「意図的な向上心」という呪縛を解くことです。
私たちは常に「昨日より良くならなければならない」という成長の圧力にさらされています。
しかし、無理な成長は心をすり減らします。ヘッセは、自力で無理やり伸びようとするのをやめたとき、植物が自然に光を浴びるように、人生の方から「やさしさ」という栄養を与えてくれるようになった、と説いているのではないでしょうか。
④私の所感
主体的な成長を要求された私
ふと、就労中に上司に言われた言葉を思い出しました。
「休日は業務に関する勉強をしろ」
皆さんの多くは、何気ない一言として受け止めることが出来るのかもしれません。
しかし「権力者から成長を強いられる」、当時の私には耐え難い苦痛でした。
発達障害の特性として、「自身の興味のないことへのコストが高くなりがちな点」があります。
当時の私は、充電不可能な電子機器であり、バッテリーがないのに何かを削って動いていました。
言うまでもなくそれは命そのものなのでしょう。
そのような極限化において、更なる上司からの要求(私には脅迫)だったのです。
今振り返っても、心に黒い気持ちが湧き上がります。
明日の生存確保に追われ、今を見ない私
私の生存は確保されていません。
まず、衣食住を基本とする経済的安全性が確保されていません。
復職は困難であり、継続就労も現状は絶望的と見ています。
そして無職になることへの不安も強く、精神的安全性もまた、確保されていません。
社会が、両親が私を、怠惰・落伍者というレッテルで見てくるだろうという恐怖があります。
経済的、そして精神的な安全性が確保されていない私は、明日の生存を確保するので精一杯です。
とても今の自分を受け入れて、許してあげることなど出来ません。
今の私は、投資とブログに全集中です。
でもそれを誰も認めてくれません。
復職するために頑張れといいます。
他者に依存する私は、私自身を認めることも出来ていません。
何気ない可能性
ただ、私の強みと弱みは「極端な集中」にこそあると思っています。
それは他者には理解され難いものなのかもしれません。
漠然とした可能性ですが、「現状を煮詰めた先に見えてくるものがあるのではないか」という思いがあります。
これは私の小さな希望なのかもしれません。
次に、ヘルマン・ヘッセについて紹介したいと思います。
2.ヘルマン・ヘッセとは
ヘルマン・ヘッセ(1877年 - 1962年)は、ドイツ出身の詩人・作家であり、1946年にノーベル文学賞を受賞しました。後にスイス国籍を取得しています。
彼の作品は、若者の苦悩や自己探求、孤独、精神的な成長を繊細な文体で描いており、世界中で時代を超えて読み継がれています。
ヘルマン・ヘッセの代表作
-
車輪の下 (1906)
多感な少年が、過酷な受験教育の中で自分を見失っていく悲劇の名作。 -
デミアン (1919)
青年シンクレールの自己探求を描く。「鳥は卵から抜け出ようと戦う」という一節で知られます。 -
シッダールタ (1922)
インドを舞台に、釈迦と同名の青年が真の悟りへと至るまでの遍歴を描いた傑作。私の目指す『諦め(諦観)』が、物語として最も美しく描かれているのがこの一冊です。 -
荒野の狼 (1927)
文明社会の孤独と、人間の内面に潜む「狼」のような野性との葛藤を描いた作品。 -
ガラス玉遊戯 (1943)
ヘッセ晩年の集大成。ノーベル文学賞受賞の決め手となった、未来の理想社会を描いた長編。
※1946年 ノーベル文学賞受賞
彼の代表作を眺めて、特に印象的だったのは『シッダールタ』です。
彼の名言から仏教要素を見出したところでしたが、やはりヘッセ自身も仏教への造詣が深かったのではないかと思います。
3.おわりに:道は必ずある
ヘルマン・ヘッセの名言を通じて、自身の辛さや生きづらさがずいぶんと言語化できたような気がします。
そして同時に、未だ言語化出来ていない希望も、少しだけではありますが、感じ取れたことは大きな成果といえるでしょう。
仏教的な意味での「諦める」という言葉は私の一つの目標です。
今日は少しだけ、ほんの少しだけ、小さな一歩で近づけたかもしれません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました🐻
名言・好きな言葉カテゴリーの記事はこちら
下記は、はてなブログのお題リンクです。 お題「好きな言葉、座右の銘」