私の文章に価値がないことが判明した日😿

気持ちや魂を込めた記事には、いくばくかの価値があるのではないかと執着するT-Kuma
気持ちや魂を込めた記事には、いくばくかの価値があるのではないかと執着するT-Kuma

1. 導入

注:タイトルは意図的に表現を省略しています。

1週間前に収益を目的にサブブログを立ち上げました。

私の心情や体験などを一切交えない、いわば「魂のこもっていないブログ」です。

そんなサブブログでしたが、あれよあれよとアクセス数が伸びて、今や1日で私のメインブログ1週間分のアクセスを軽く凌駕するようになってしまいました。

しかもアクセスは全てGoogleによる外部流入です。

「私はこの3ヶ月、何をやっていたのだろう、、、」

「自分の生き方の配分は間違ってたのだろうか?」

虚無感が飛来しました。

人が綴る文章の価値について語りたいと思います。

サブブログのアクセス数
サブブログのアクセス数:昨日から脅威の伸び

2. サブブログについて

アマゾンのおすすめ商品を紹介する記事のみで構成された、いわゆるアフィリエイト特化型ブログです。

私が片手間で運営するため、記事制作工程の多くをAIに任せています。

Xでの拡散もしませんし、はてなブログ内のランキンググループにも意図的に所属してません。

行っているのは、BingとGoogleのURL登録くらいです。

始めて数日で外部アクセスが100を超え、昨日は732回のアクセスがありました。

アフィリエイトも、この1週間で7件成約しました。


3. 私のこのブログの価値は、、、?

アクセス数、という観点では、私のメインブログは完全敗北です。

そして収益という物差しで見れば、このブログはほとんど価値を持っていません。

私は「オールインワン」という言葉が大好きです。

発達障害の特性の一つなのか、モノの管理が酷く苦手です。

一つで多くを賄えるならそれに越したことはありません。

だから私は、このブログ一つで「成果」も「自己表現」も「つながり」も手に入れようとしてきました。

そのため、私はこのメインブログに、

・収益

・自己表現

・社会的接点

など、多くの要素を求めました。

その結果が、この「ごった煮ブログ」であり、良くも悪くも「私そのもの」です。

私は成長していないのか、自分の過去の記事を読んでも「あぁ、こいつ良いこと書いているなぁ」と満足感を覚えます。

それは、書かれている内容が自身の価値観や情緒と深くマッチしているからです。良くも悪くも、根底が変わっていない自分を再確認しています。

しかしその「素敵な記事(自称)」は、1万人に一人が検索するような内容です。

そして検索されても検索上位には表示されません。

さらに、その1万人に一人の方が読んでくれるかは、また別問題です。

もし届いたとしても、その一人が「救われた」と感じてくれるのか、それとも逆に「不快だ」と感じるのか。その可能性は常に等しく存在します。そんな不確かなものに、私は命の時間を削って向き合っています。

対してサブブログの方は、「最初から私がいません」。

存在するのは「推定読者が必要としているであろう情報」ただそれだけです。

数字対決では最初から勝負にすらなっていないのだと痛感します。


4. おわりに

この記事のタイトルは、「私の文章に価値がないことが判明した日😿」でした。

正しくは「(現時点の)私の文章に(アクセス数・収益的に)価値がないことが判明した日」です。

それでも執着し続ける自分がいます。

私が気持ちや魂を込めた記事には、いくばくかの価値があるのではないか、と。

しかしそれすらも「過剰な期待」かもしれません。

私にとって恐ろしいのは、「私が誰にも必要とされていないかもしれない」と“確定”してしまうことです。

客観的に見れば、このメインブログは整理整頓もされておらず、「美しくない」場所です。しかし、同時に「私そのもの」でもあります。この「美しくなさ」を否定し、効率や数字だけで塗りつぶしてしまったら、それは私自身の存在を否定することになってしまう。そう思うから、私はこの場所を捨てられません。

これからもブログは続けていきます。

良い意味では「メインブログのアクセス数や収益」に少しだけ気にならなくなった自分がいます。

悪い意味では「それでも自分の文章に数字的な価値」を求めて止ない自分が残り続けています。

あなたは、数字と自己表現のどちらを優先しますか?

もしもバランスよく両者が成立できているなら、実に羨ましく思う私がいます。