神奈川県警の不祥事はなぜ続く?「またか」で済ませない、公権力との向き合い方

神奈川県警の不祥事はなぜ続く?市民が公権力と適切な距離を取る方法 本記事のテーマ:私たちは、公とどう向き合うか?人は公共になり得るのか?――「道は必ずある」と信じるために

1.導入:また神奈川県警かというネットミーム

「もし警察から電話が来たら、心臓が止まるほどの衝撃を受ける自信があります。特に後ろめたいことがなくても、です。」

そんな私が、2026年2月14日に報じられた神奈川県警のニュースを見て、思わず「またか」とつぶやいてしまった瞬間、自分自身にゾッとしました。

Yahoo!ニュース(2/14(土) 10:09配信:毎日新聞)

記事概要

神奈川県警第2交通機動隊で、2022~2024年にかけて約2700件もの交通違反取り締まりに不正があった疑い。巡査部長らは「事務処理より取り締まりに時間を使いたかった」と認め、虚偽記載の公文書を作成したとして書類送検へ。納付済みの反則金は約3500万円に上ります。

「またか」と流してしまう怖さ

このニュースは、「また神奈川県警か」というネットミーム※が生まれるほど、県警の不祥事が繰り返されてきた印象を呼び起こします。

しかし2700件という規模にもかかわらず、「大したことない」と考えてしまった自分に、むしろ恐ろしさを覚えました。

自分は何か感覚が麻痺していないだろうか?

この記事では、神奈川県警の事例を通じて、「公とどう向き合うか?人は公共になり得るのか?」という観点について考えてみたいと思います。

※ネットミーム(Internet meme):SNSや掲示板などを通じてネット上で急速に拡散・模倣される画像、動画、定型句などのコンテンツ。

2.神奈川県警とは?

①概要

神奈川県警察は、約1万6000人の警察官を擁する日本最大級の警察組織の一つです。

横浜・川崎といった大都市から、湘南・箱根などの観光地まで、広大なエリアかつ人口約920万人の神奈川県の治安維持を担っています。

(報道・公開情報をもとにした概数です)

②なぜ注目されている?

本来であれば、その規模に見合った「守りの要」として信頼されるべき存在です。

しかし、後述するような不祥事が長年にわたって繰り返されており、インターネット上やメディアでは「また神奈川県警か」という厳しい視線が注がれる、負の注目を集める存在となってしまっています。

これらの積み重ねにより、「不祥事が多いのではないか」という批判も多く見られ、県民の信頼低下が懸念されています。

また、私は軽視していましたが、今回報じられた不正には、「追尾距離を意図的に短くして違反を認定した疑い」や、「実況見分調書で不適切な記載が行われた疑い」などが含まれていました。

報道内容を見る限り、現場からは「事務処理より取り締まりに時間を使いたかった」という声が出ているようですが、これは「実績作り」を優先し、適正な手続きを軽視した組織的な歪みとも言えるのではないでしょうか。

単なるミスではなく、個人の逸脱なのか、内部で黙認されていたのかは今後の調査を待つ必要がありますが、少なくとも「公文書の信頼性」が揺らぐ事態です。

警察そのものの信頼性を根底から揺るがす問題になりえます。

これらの積み重ねは、個人の問題ではなく組織風土の慢性化が疑われる状況です。

③神奈川県警の不祥事一覧

神奈川県警の不祥事は歴史的に複数報告されており、報道や公開情報(Wikipediaの整理も含む)から代表的なものを抜粋します。(抜粋、時系列順)

詳細は各報道を参照ください。

  • 1997年:戸部警察署内被疑者死亡事件(拳銃自殺、隠蔽疑惑)。
  • 1999年:覚醒剤使用警官隠蔽事件(警察本部長らが有罪、戦後最悪級の組織犯罪)。
  • 2010年代以降:超過勤務強要、誤認逮捕、ストーカー事案不適切対応など散発。
  • 2024-2025年:勤務中性行為(交番内)、盗撮、窃盗未遂などの逮捕事例相次ぐ。
  • 2025年:川崎ストーカー殺人事件対応不備(本部長謝罪、多数処分)。
  • 2026年:交通違反取り締まり不正(約2700件虚偽記載疑い、書類送検方針)。
  • その他:少年課チラシ炎上(被害者配慮欠如で削除)など。

これらは個別事案を超え、組織風土や指導徹底の課題を示唆しています。

3.警察、そして公権力との向き合い方

これらのニュースを見るたびに、私たちは強い憤りや不信感を抱きます。しかし、ここで考えたいのは「公」とどう向き合うかという姿勢です。

①「公人」もまた「人」であるということ

警察官をはじめとする公職の多くは、一定の試験などを経て選出された人々の集まりです。

そこには、私たちの社会全体で築き上げた「一定の基準やシステム」に基づく信頼性があります。

しかし一方で、彼らもまた人間であります。

警察官という制服を着ていても、その中身は私たちと同じ、弱さや愚かさを抱えた一人の人間です。

彼らを聖人君子のように神格化し、完璧な正義を期待しすぎることは、実像を見誤る原因になります。

②過剰な反発は避けたい

不祥事が続くからといって、全ての警察官を「敵」と見なし、過剰に攻撃したり反発したりすることは、社会の安全を維持する機能を自ら損なうことにもつながりかねません。現場で懸命に働く個人までを否定するのは本意ではありません。

私のように不安が広がりやすい人間からすると、「可能な限り警察にはかかわりたくない」という思いが膨らみがちです。

それがかえって人生のトラブルを増幅させかねないというリスクも確かに存在します。

③しかし、過信は禁物である

一方で、「警察が言うことだから正しい」「公の機関だから安心だ」という無批判な過信は、今の時代、非常に危険です。

公権力は時として暴走し、あるいは自浄作用を失うことがあるという事実を、私たちは神奈川県警の歴史から考えさせられます。

また昨今はニセ警官による詐欺も話題になることが多いです。

もし私が警察を名乗る人物から電話を受けたなら、心臓にズキンという強い衝撃と共に脈拍が急上昇するでしょう。

「特に後ろめたいことがなくても警察は恐ろしい」、これが私の嘘偽りのない現在の感覚です。

「公」という存在を盲信せず、かといって冷笑的に拒絶するのでもなく、一歩引いた視点から「監視」と「協力」を両立させる。

その程よい距離感こそが、今の私たちに求められているのではないでしょうか。

少なくとも私にとっては、親しみを込めて「おまわりさん」と呼ばれていた、昭和の時代は遠くなったように感じてなりません。

(あくまで、私のような不安が強い人間の世界の見方、です)

※それでも緊急時には110番、相談は#9110(警察相談専用電話)という窓口があることを制度として存在することは覚えておきたいです。

④私個人としての公との向き合い方

改めて、少し考えてみました。

今思い浮かぶのは、私の座右の銘「道は必ずある」ということです。

警察は強力な公権力ですが、あくまで公権力の一つでしかありません。

冷淡な言い方をすれば、一般市民にとっては一つの解決ツールにすぎないとも言えます。

何か困ったことがあったとき、トラブルに巻き込まれたとき、私たちは冷静さを失いパニックになりがちです。

しかしそういった時こそ「道は必ずある」ことを忘れないようにしたいものです。

警察以外にも様々な相談先、頼り先を挙げることができます。

※公的相談窓口を優先しつつ、SNSやAIは個人情報に十分注意してください。

  • 役所・役場:生活保護、福祉、健康、住民トラブルなど、行政サービスの総合窓口。何から手を付けていいか分からない時の第一歩に。
  • 社会福祉協議会:生活の困りごと(金銭面や孤立など)を相談する。地域の福祉ネットワークを繋いでくれる、福祉の専門家集団です。
  • 弁護士(法テラス):法律の専門家に頼る。警察の対応に疑問がある時や、法的な守りが必要な時に。経済的に余裕がない場合も利用可能です。
  • 会社など自分が所属する組織:職場でのトラブルや、生活上の問題が業務に支障をきたす場合に。産業医や相談窓口がある場合、専門的なケアも受けられます。
  • 町内会など地域や趣味の集まり:地域特有のルールや近隣トラブル、防犯情報の共有。顔の見える関係性が、公権力とは別の「守り」になることがあります。
  • 家族・親族:最も身近な情緒的支え。客観的な判断を仰いだり、一時的な避難先として、まずは身を守るための基盤となります。
  • 各種相談電話:「いのちの電話」や「こころの電話」など。24時間、匿名で今抱えている苦しさを吐き出し、冷静さを取り戻すために。
  • SNSやAIなどへの匿名相談:不安を言語化し、パニックを抑える「壁打ち」に。感情を整理することで、次にどの窓口へ向かうべきかを見極める一歩になります。

……様々な相談先が必ず存在します。

社会との接点が少ない私ですが、上記のように羅列すると「意外と何とかなりそう」な気もしてくるから不思議なものです。

そのように考えると、少しだけ「私の中の警察の比重が軽くなる」気がします。

まずはここから始めたいと思います。

4.おわりに:公(おおやけ)とは私たちのこと

「公(おおやけ)」とは、本来は私たちの集まりであるはずです。しかし、組織が巨大化し、権力やシステムが固定化されると、いつの間にか「公」は血の通わない、あるいは歪んだ形へと変貌してしまうことがあります。

神奈川県警の事件を「遠くの出来事」として片付けるのではなく、私たちが公的な存在とどう対峙し、いかにして健全な社会を保つのか。一人ひとりが自分の頭で考え続けることが、問題を繰り返さないための一歩になると信じています。

公とは、遠い権力ではなく、私たち自身の延長線にあるものなのだと思います。

生きづらい世の中ですが、公と私の適切な距離感を保って、程よくいきたいものです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました🐻

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