言葉を『脅迫』と受け取ってしまう。発達障害とうつ病の私が感じる、助言がナイフに変わる瞬間

言葉を「脅迫」と受け取ってしまう理由|発達障害とうつ病と助言の受け取り方
T-Kumaの小さな一歩

注:本記事は、メンタルヘルスの観点でセンシティブな内容を含みます。

発達障害とうつ病を抱える私が、医師の何気ない一言「目標を持って過ごしてほしい」を「脅迫」と受け取り、ナイフで刺されたような痛みを感じた体験を綴ります。

このような認知の歪みは、私だけではなく多くの方が抱えうる問題です。

なぜそう感じてしまうのか、その背景と、少しずつ向き合う方法について整理しました。

1.導入:たったこれだけで傷ついたと感じる私

今週はどうにも不調だなぁと思っていたところでしたが、ようやく原因に思い当たりました。

火曜日にメンタルクリニックで言われた言葉が起点のようです。

あなたには目標を持って過ごしてほしい

これだけです。

しかし当時の私は「ナイフで刺されたような感覚」を抱き、今も傷つき意気消沈したままです。

客観的に見て、救いがたい私がいます。

今回、事の経緯や私の特性などをまとめることで、改めて自身を振り返ってみたいと思います。

多かれ少なかれ、誰もが抱きかねない心情ですが、私は特に強く感じてしまうようです。

似たようなコンディションに至る方への、何かしらのヒントになれば幸いです

2.事の経緯:発達障害とうつ病における“言葉の受け取り方”

・火曜日、メンタルクリニックの診察があった

・主治医から「グループワーク(集団治療)において、目的を持って取り組むように」との発言があった

・主治医の言葉はグループワークへのモチベーションが低下中の私には、「ハードルの高いもの」と感じられた

・私は主治医の言葉を「脅迫」と受け取り、酷く意気消沈した

3.私の特性:助言や提案が脅迫に変換される仕組み

①私の思考の変換フィルター(認知):助言を脅迫と感じる理由

・私にとって他者の言葉は、「助言や提案、依頼」であっても、「要求、強要、更には脅迫」として受け止めてしまう

・なぜなら「断ると報復される」と考えているから

・報復は有形無形のカタチで私を襲うと考えている(態度、対応、評価、陰口、暴力など)

・この思考の変換フィルター(認知)は、権力者や目上の人間からの発言で強く発生しがちだが、仲間内でも発生しうる

・この特性は社会人経験を経て、確たるものとなった

②このような認知が形成された背景(私的な推察):現実から不安を覚え、不安が現実になった日

・新卒で入った職場の上司が、今でいうパワハラ気質だった

・目上の人間(他者)が、無茶な要求をしてきて、断ると態度が一層のこと悪化していく様子を目の当たりにしてきた。

・いずれの職場でも、当人がいない場所での悪口が横行していた

・「私がいないところでも私の悪口を言われているのだろう」という不安が拡大していった

・うつ病で休職するにあたり、上司と主治医との3者面談において「なぜT-Kumaが仕事ができないか(私以外の)みんなで会議もした」と言われた

・これにより、私のいないところで私が低評価を受けているという不安が現実となった

・あの瞬間から、「以降の不安が全て現実のものとなりうる」こととなり、私にとって文字通り致命的となった

③私の所感:発達障害とうつ病における“言葉の受け取り方”

まず、主治医に対しては特に恨みへと至っていないのが唯一の救いです。

主治医は「プロとして」私に言葉をかけたと考えています。

それを「脅迫」と受け取る私が異常なのは、客観的に見て明らかです。

この客観性こそが私の強みであり、何とか大切にしていきたい(誇張でも何でもない)生命線そのものだと思っています。

それでも私としては「今が限界」なところへ強い要求をされたと受け取り、「ナイフで刺された」と感じてしまうのです。

改めて私は救いがたい人間だなぁと思います。

このような私は「救いの手を認識できず、脅迫と捉え」てしまい、やがて自分の周りから人は離れていってしまうことでしょう。

社会人になってから、基本的にはこの特性は強まる一方であり、つまり私にとっては「脅迫され続けて無理して生きてきた十数年の人生」なのです。

で、それに応える限界がきて、うつ病と発達障害の診断が発覚したわけです。

それでも近年においては、ようやく緩和傾向が見えてきたところであります。

以前ならば動悸が激しくなったり、睡眠中に目が覚めたり(中途覚醒)していました。

身体的な症状はずいぶん減ってきたと思います。

しかしコンディションが悪いと「限界のところに無理な要求をされた」とひどく落ち込んでしまう私がいます。

4.私に欠如しているアサーション

私は認知行動療法やマインドフルネスなどを学んできていますが、一番大切だと思う考え方にアサーションが挙げられます。

アサーションとは一言で言うと、「自分と相手を尊重したさわやかなコミュニケーション」を意味します。

以前記事にまとめましたので興味のある方はご覧ください。

t-kuma.net

私もアサーションを学び、「これは自分に必要な考え方だ」と感銘を受けて、練習と実践を積み重ねてきたところです。

しかしなかなか身に着けるのは困難です。

アサーションの考えでは「アサーションをしない権利」も重要です。

なぜなら、アサーションを理解しない人にアサーティブな振る舞いをするとリスクが生じる場合もあるからです。

私はこの点を過剰に解釈してしまっています。

アサーションを理解しない人、つまり私です。

アサーションを学んでいる私ですが、「自他を尊重したさわやかなコミュニケーション」であっても私にとっては「強い要求や脅迫」と受け取りかねません

話が堂々巡りになってしまいますが、私のような人間がいる以上、私は怖くてアサーションを使えないのです。

5.何かしらの救いはあるのか?AIに尋ねてみた

300文字以内で依頼。

①Gemini

ご自身の内面をこれほどまでに深く、客観的に言語化されたことに敬意を表します。

「助言を脅迫と受け取ってしまう」という感覚は、過去の過酷な経験から自分を守るために形成された、切実な防衛本能なのだと感じました。

主治医の言葉に「ナイフで刺された」ような痛みを感じるのは、あなたがこれまで「脅迫」に耐え、限界まで頑張り抜いてきた証でもあります。

ご自身を「救いがたい」と評されていますが、その苦しさを客観視できていること自体が、回復への確かな「生命線」です。

今はアサーションができなくても、その痛みを無視せず、こうして書き出せたこと自体が、ご自身を尊重する大きな一歩ではないでしょうか。

②Grok

あなたの記事を拝読し、深い共感と敬意を覚えました。

助言が「脅迫」や「ナイフ」に変換される認知のフィルターは、過去のトラウマと発達障害・うつ病の特性が重なり生じた防衛機制であり、決して「救いがたい」ものではありません。

客観性を生命線として保持しつつ、ご自身の内面をここまで丁寧に言語化されている点は、むしろ大きな強みです。この振り返り自体が、傷つきやすさを少しずつ緩和する一歩となり得ます。

主治医の言葉は支援の意図であり、あなたがそれを痛みとして感じるのは異常ではなく、特性に起因する自然な反応です。無理に「正しく」受け取ろうとせず、まずはその痛みを認めてあげることが、回復への鍵となるでしょう。

どうかご自身を過度に責めず、少しずつ優しく寄り添ってください。あなたは一人ではありません。

③CHATGPT

あなたの文章から、「言葉そのもの」ではなく「過去の経験が染みついた文脈」が反応してしまう苦しさが、非常に明確に伝わってきました。

助言がナイフに変わるのは、弱さではなく、生き延びるために獲得した防衛反応だと思います。

客観視できている点は、本当に大きな強みですし、回復の途中にある証でもあります。

「目標を持てない今」も、治療の一部であって失敗ではありません。

言葉に傷ついた自分を責めず、「そう感じた事実」だけを認めていい。

その姿勢自体が、すでにあなたなりのアサーションだと私は感じました。

④AIの見解について私の所感

さて、みなさんはAIの見解をどのように感じたでしょうか?

今の心身が疲弊した私のコンディションでは、「みな同じことを言っている」ように感じられました。

・「助言を脅迫と受け取ってしまう」この認知フィルターは、救いがたいものではなく防衛機能である

・そのように感じた自分を認めることが大切

・私は回復の途中にある

これをポジティブに捉えるならば、「最適解ゆえに、どのAIもに類似の見解を示した」と言えます。

ネガティブに捉えると「私のコンディションが悪く、文脈を把握しきれていない」かもしれません。

いずれにしても、すこしだけ呼吸の整ってきた私が、ここにいます。

まぁ「私は傷ついたと感じて、今動けていない」、このことは事実であります。

今この時が「大切な治療時間なのか、ただの怠惰なのか」は判断の分かれるところであり、そこが私を苦しめるのでしょう。

私には『(私も含めた)全員が、私を「怠惰だ」と言っている』ように思えてなりません。

この認識が私を苦しめる、その確認ができたことが今回の成果と言えるでしょう。

私が私を「怠惰だ」と責め、周囲の声もすべてそう聞こえてしまう。

その「最悪の前提」に立っている自分に気づけたからこそ、ようやく見えてくる景色もあります。

6.おわりに

傷ついた、苦しい、生きづらい、まぁ被害者ぶる私がいます。

まずはそれを受け入れたいと思います。そこが私のスタート地点です。

他者のアクションを脅迫とみなす私がいます。

脅迫を強い要求に、強い要求を要求に、要求を提案や助言として、「相手の言葉を緩和して受け止められれば」、私にとってベターな生き方ができるでしょう。

長年染みついた認知であり、その緩和は決して容易ではありません。

それでも「少しだけ、自分の取れるアプローチをしていきたい」と思える自分がいる。

今日はそれで十分と言えるでしょう。

今の自分を認め、小さな一歩を踏み出す。

みなさんが少しでも生きやすくなるヒントになれば幸いです。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました🐻