
1.導入:元横綱の白鵬氏が大相撲の五輪種目採用に意欲
Yahoo!ニュースで興味深い記事を目にしました。
記事概要
元横綱白鵬の白鵬翔氏(40)は7日、東京で開催された「第16回白鵬杯」において、大相撲の2032年または2036年オリンピック種目採用に意欲を示した。「8年後に入れば」と具体的に時期を挙げ、「地球の裏側でも飛んで行って紹介したい」と世界普及への強い決意を語った。アマチュア相撲の発展に向けた取り組みを継続中である。
私の所感:相撲もオリンピックも興味がないのに、、、?
単純に面白そうだと思いました。そしてこの感覚は私自身も意外なのものでした。
なぜなら私は『相撲にもオリンピックにも大して興味がない』からです。
それでも、相撲のオリンピック採用というシーンを想像すると、「あっ、良いな」と感じる自分がいます。
この記事は、相撲の五輪採用の是非ではなく、興味がないのに惹かれた自分の感覚を探るエッセイです。
2.五輪×相撲の魅力とは?
①「階級制」より「無差別級」に惹かれる理由|機会の公平へのロマン
まず私がイメージしたのは、「相撲が体重制限のない無差別級である」というルールでした。
ボクシングや柔道などは明確に体重で階級分けがなされています。
もちろんそこには「公平性の確保」、「選手の安全管理」、「競技の質の向上」などの目的があるのでしょう。
しかし、私にとってそのようなルールは、時に煩わしさを感じてしまいます。
もしかすると論点がずれてしまうかもしれませんが、私には階級分けが「結果の公平(同じ条件の人同士で競う)」、無差別級が「機会の公平(誰でも同じ土俵に上がれる)」のように思えます。
現代のスポーツは細分化されすぎて、どこか「守られすぎている」と感じるのかもしれません。
バスケットボールに身長制限がないように、「圧倒的な体格差を技術でひっくり返す」というジャイアントキリングの可能性に、私は無意識に期待しているのかもしれません。
もちろん競技が格闘技寄りになればなるほど危険であるのは確かです。
そのリスクを競技者に負ってもらいたいと思うのは無責任かもしれません。
それでも、そこに可能性やドラマを期待する私がいます。
②「数秒の決着」が心地よい|タイパ至上主義な現代に合う競技性
相撲の取り組みは実際の取組時間は非常に短く、数秒~数十秒で決着することが大半です。(幕内でも4分までで仕切り直し)
これほど短時間で決着する競技は、私にはあまり思い浮かびません。
私がオリンピックに興味が薄い理由も、スポーツ観戦が冗長に感じてしまうからだと思われます。
例えば、オリンピックのマラソンやサッカーは数時間に及びますが、相撲は一瞬の集中力で勝負が決まります。
この短さが、現代の時間効率を重視するライフスタイルにマッチし、オリンピック視聴のハードルを下げることも考えられるかもしれません。
③シンプルさを好む私?
世界各国から力士が参戦し、だれが一番強いのか?その姿を見てみたいと思います。
国や文化が違っても、“押し合う”という原始的な強さは伝わる気がします。
④小まとめ:結局なぜオリンピックで相撲を見たいのか分かりませんでした💦
結局、なぜ見たいのか明確な答えは出ませんでした。
でも、普段テレビをつけない私が『土俵の上に立つ多国籍な力士たち』を想像してワクワクしている。
それは、効率やルールで固められた現代において、相撲が持つ『原始的なシンプルさ』が、私の心のどこかに触れたからなのかもしれません。
白鵬氏が語った「世界に紹介したい」という言葉も、どこか胸に残りました。
このワクワクは、オリンピックという場が相撲に新たな光を当てるかもしれない、そんな予感でした。
3.おわりに:理屈ではない何か
私はブログ執筆をしている通り、文章化を好みます。
そのため、「文章化できない」という経験は新鮮でした。
先日は、今日の名言として「 何かを本気で夢見てしまったらじっとなんてしていられない」という言葉を取り上げましたが、それに近いものがあるのかもしれません。
分からないままでも、心が動いた事実だけは残りました。
人は理屈より先に何かを感じることがあるのかもしれません。
みなさんは、理屈ではない何かを感じたことはありますか?
ここまで読んでいただき、ありがとうございました🐻
心よりも体が動いてしまったという名言については、下記の記事をご覧ください。