
1.導入
ふと、御神渡りの記事が目につきました。
記事概要(Grok)
長野県諏訪湖では、二十四節気の「小寒」に当たる1月5日から、御神渡りの観察が開始された。
諏訪市豊田地区の舟渡川河口で、八剱神社の宮司らが湖面の氷の状態や亀裂を調査するこの伝統は、室町時代(1443年)からの記録がある。
御神渡りは湖全体が凍結し、氷が隆起して道のような筋ができる現象で、諏訪大社の神々が往来する「神の渡り」と信じられている。
しかし、近年は気候変動の影響とみられ、7シーズン連続で出現していない。
宮司は「自然は人間の思い通りにはいかない」と述べ、観察は立春(2月4日)まで続く。
(248文字)
2.諏訪と私
①電池が切れても動く私
かつて私は長野県は諏訪で5年ほど生活していました。
当時新卒だった私は、一人暮らしと慣れない土地での生活、そして就労に日々消耗を続けていました。
私はよく自分自身のことを「バッテリー残量ゼロで動く機械」に例えていました。
なんで動けているかわかりません。
家に帰っても充電できません。
でもなんとなく、何かを削ってなぜか動いている、
そんな日々を過ごしていました。
夜道ではよく月を見上げていたものです。
「月が綺麗に見えるのだから、まだ私は大丈夫だろう」
とうに限界を超えていた自分への慰めだったのだと今は思います。
メンタルクリニックでうつ病と発達障害の診断を受けるまで、この想いは15年近く続きます。
②御神渡りは知っていた、御柱祭りも知っていた、でも、、、?
今振り返ると、5年も諏訪に住んでいたのに、一度も御神渡りを目にしていません。
当時も地球温暖化の話があり、なかなか御神渡りができないことをニュースで目にした記憶はあります。
それでも1度も発生しなかったわけではないでしょうが、私は見に行くことすらしていませんでした。
御柱祭にも全く関与していません。
日本三大奇祭の一つでしたでしょうか?
神話が結構好きな私は、諏訪の神様のエピソードは知っています。
たしか大陸から来た天津神との争いに敗れて、諏訪の地に祀られた国津神だと記憶しています。
そんな神話が好きな私も、お祭り自体は無関心でした。
いえ、余裕がなかったのです。
補足:諏訪大社の由来(Gemini)
諏訪大社は、長野県の諏訪湖周辺に鎮座する国内最古級の神社の一つです。
その由来は神話の「国譲り」に遡ります。出雲の大国主神の息子である建御名方神(たけみなかたのかみ)が、天照大御神の使者との戦いに敗れ、諏訪の地に逃れてこの地を治めることを誓ったのが始まりとされています。
古くは狩猟の神として、中世には「諏訪大明神」として武田信玄などの武将から篤い信仰を集めました。本殿を持たず、山や木といった自然そのものを御神体として祀る、古代の信仰形態を今に伝えています。
3.文化とは「あそび」だと思う私
①あそびとは?
「あそび」という言葉には、様々な意味があるようです。
・遊戯としての遊び
・建築用語で、部材の接合部などに意図的に設ける隙間やゆとり
・心のゆとり
いずれも「そこに空(くう)がある」ことを指しています。
直接的でない、間接的な価値といえばわかりやすいでしょうか?
老子では「無用の用」という表現で語られたものに近い気がします。
補足:無用の用とは(Gemini)
「無用の用」とは、中国の思想家・荘子が説いた、「一見役に立たないと思われるものが、実は大きな役割を果たしている」という逆説的な考え方です。
例えば、部屋の空間(空っぽの部分)があるからこそ人は住むことができ、器も中身が空であるからこそ物を入れることができます。また、曲がっていて建築材にならない木は、伐採されないために長寿を全うします。
私たちは効率や実用性ばかりを求めがちですが、遊びや余白といった「無用」に見えるものこそが、物事の本質や心のゆとりを支えているという教えです。
②あそべなかった私
さて「バッテリー残量ゼロで動く機械」だった私がいます。
ある意味では今もそのままです。
私は常に心の余裕を渇望しています。
心のなかに空白のスペース、余力や余白があって初めて安心が生まれ、のびのびと生きられる気がしています。
しかしそれを職場や社会は許してくれないようです。
それは「怠惰」と評されがちです。
世の中は勤勉が求められがちです。
生活の余白は「埋めるべきだ」という論調が強いです。
ギリギリの中で私はかつて上司にこう言われました。
「休日は勉強して自己研鑽に勤めろ」と。
これ以上を求めるのか、、、と絶望したことが思い起こされます。
この時、確かに私は一度壊れたのだと思います。
③文化とは遊びであり余裕の産物
ギリギリの私はあそべませんでした。
余裕から生まれる文化を味わうという、好循環のサイクルに参加できなかったのです。
その土地の文化、伝統、風習、交流、私が受け入れるには多大のコスト(余裕)が必要です。
4.おわりに
何気ない御神渡りのニュースから過去が想起されました。
文化や伝統は歴史の中で生きる人々の積み重ねです。
私の言う「あそび」だけで語り尽くせない、苦労や執念もあることでしょう。
ただ、私の生き様とは重なり合うことがなかった。
御縁がなかった。
そんな感覚を少し哀しく、惜しいなと思う私がいます。
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