
これは大きな理論でも提言でもありません。
ただ、私が生きてきた実感の話です。
1.はじめに:時間をお金と交換する虚しい働き方
うつ病と発達障害の診断を受けた私は、標準的な方々よりは「生きづらい部分」が多くあります。
多くの方々が「当たり前」にこなしていることが極めて困難です。
その結果としての休職であり、以降の継続就労の困難さを感じている次第です。
私にとって働くことは「時間=命をお金に替えること」にほかなりません。
働くことに喜び・やりがいを感じることも無く、苦痛とともに時間が流れます。
一日8時間以上。
人生の三分の一を、苦痛に差し出してきました。
そしてその苦しみは残りの16時間にも影響を及ぼします。
その是非はともかく、これが私にとっての世界の見え方でした。
素敵な人生を過ごしたいのに、生きるために人生をすり減らさなくてはいけない。
なんとも、哀れです。
2.だから投資家になることを選んだ私
命をお金に替える作業には限界がありました。
ではお金自身に働いてもらうなら?
私が投資を志したのは生きるための必然だったのでしょう。
誰かの迷言にこんな言葉があったのを覚えています。
「取り柄がないから投資家になるしかなかった」
まさにこれは私のことです。誇らしい選択ではなく、ほかに生き延びる道が見当たらなかったがゆえの必然でした。
私は強いから投資をするのではありません。
自分という労働力に、自信が持てなかったからです。
ならば、せめてお金に働いてもらうしかない。
それは誇りではなく、生存の選択でした。
3.それでも続く搾取構造:NISA制度以前
今でこそNISA(少額投資非課税制度)がありますが、それ以前の構造をふと思い出してみました。
- 労働で得た給与からは、所得税・住民税・社会保険料が大きく差し引かれる(第1の負担)
- その残りで投資を行い、ようやく得た利益にはさらに約20%の税金が課される(第2の負担)
- そして最後に、残った資金で生活しようとすれば消費税が上乗せされる(第3の負担)
私にとっては、2重課税どころか3重課税の感覚です。
どこまでが「当然」で、どこからが「過剰」なのか。
私には、もう判断する気力がありませんでした。
今のNISA制度によって投資利益の非課税は実現しましたが、給与段階と消費段階の負担は依然として重く、私にとっては「抜け出せない搾取の連鎖」に他なりません。
おそらく税制のプロならば、「正しい理屈」を示してくれるのでしょう。
しかし私はその答えを知りたいとは思いません。
ただただ、疲れてしまったからです。
4.おわりに:それでも生きている私を想う
今のところ、復職の目処は立っていません。
転職による継続就労も厳しいところです。
つまり今の私は税金を払えるような状況ではありません。
そんな私がふと、過去を振り返ると3重課税だったなぁという気付きと悲しみを覚えたという話でした。
それでも今、キーボードを叩いている私がいて、
まだ文字を綴りたいと想う私がいます。
ただあり続けたい。
生産性ではなく、成果でもなく、
ただ「存在」として。
それだけを願う私がいます。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました🐻
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