警戒している言葉:幸せの青い鳥|わからないまま、それでも歩く

幸せの青い鳥に違和感を覚えた日|納得できなくても歩き続ける理由
青い鳥を探し求めてしまいがちなT-Kuma

お題「嫌いな言葉、警戒している言葉」

1.導入

本日やったこと。

・5㎞、1時間半の雪道ウォーキング

・昨日の投資運用成績の記事投稿

・パンダネタの記事投稿

・日米アフィリエイト記事を各1件投稿

こうして振り返ると運動に執筆、行動できた自分がいます。

しかしそこに喜びはありません。

かすかに期待するのは、「可能性を積み上げられた」ということです。

自己肯定が苦手な私は、成果=具体的な数字≒ブログのアクセス数や収益を求めてやみません。

もしくは誰かに褒めてもらいたいのでしょう。

自分で自分を幸せにできない私は、幸せを外部に求めます

あぁ、まるで幸せの青い鳥を探しているようだ」と、ついつい自嘲してしまいました。

2.幸せの青い鳥とは?

「幸せの青い鳥」は、ベルギーの作家メーテルリンクが1908年に発表した童話劇「青い鳥」に由来する、幸福のシンボルです。

主人公のチルチルとミチルが探し求めた青い鳥は、実は身近な場所(家の中)にいたという物語から、

「幸せは遠い場所ではなく、すぐ近くの日常に既にある(気づくことの大切さ)」

という教訓を伝えています。

3.わかっていても求めてやまない青い鳥

今日も青い鳥を得られなかった、その気持ちが強く湧き出てしまいます。

止まらずにチャレンジし続けられている今の自分」を認め、「チャレンジすることが出来るいまの環境」をありがたいものだと思いたいという「思考」はあります。

でもそこに感情が追い付きません。

私は子供のころから屁理屈の人間でした。

言葉は浮かびますが、気持ちが付随しない気がします。

内面から湧き出る何か、納得感とでもいうのでしょうか?それが見つかりません。

私の青い鳥は「納得感」なのかもしれません

もしくは仏教的観点で言うところの「諦め(あきらめ)」かもしれません。

4.仏教的観点における「諦め」とは

一般的に使われる「希望を捨てる」「途中で投げ出す」といったネガティブな意味とは異なり、「物事の真実を明らかに見極める(明らめる)」という極めてポジティブかつ理知的な智慧(ちえ)を指します。

仏教における「諦」という漢字は「真理」を意味し、物事をありのままに捉えることを強調します。

①「諦め」=「あきらかにみる」

真実を見る:

偏見やこだわり、思い込みを取り払い、物事のありようを「明らかに見る」こと。

諦観(ていかん):

事の真理を見通し、本質を見極めること。

状況を受け入れる:

「どうしようもないこと」を「どうしようもない」と受け入れ、執着を手放すこと。

②なぜ「諦め」が必要か(ポジティブな効果)

苦しみからの解放:

仏教では、思い通りにならないことに執着すること(こだわり)が苦しみの原因と考えます(一切皆苦)。それを真理(無常)に基づいて諦める(受け入れる)ことで、心が軽くなります。

本当の安心・満足:

「無常(すべては変化する)」という真理を受け入れ、結果への執着を「諦める」ことで、今ここでの満足を得やすくなります。

前向きな再出発:

執着を手放すことは、次の新しい行動(軌道修正)への準備になります。

③一般的な「あきらめ」との違い

一般: 「目標達成が無理だから、残念だが放棄する」=悲観的
仏教: 「状況はこうなっている」と、真実を理解して「固執する心を手放す」=客観的・能動的

④小まとめ

仏教における「諦め」は、賢く生きるための智慧であり、自分の限界や世界の「無常」を理知的に受け入れることで、人生を軽やかにする手段と言えます。

5.おわりに

私の青い鳥は、納得感もしくは諦めである、というところまでは行き着きました。

さて、ここからどうしましょう?

わからないまま、未解決のまま、明日も歩き続けるのかもしれません。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました🐻

本日書いたパンダの記事に興味のある方は、下記のリンクからどうぞ

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