フェイクニュースの見抜き方|誰でもできる3つの判断基準【2026年最新版】

T-Kumaは、3つの基準でフェイクニュースと向き合う
T-Kumaは、3つの基準でフェイクニュースと向き合う

1.導入

こうしてブログを書いていてふと思いました。

「私のブログもまたメディアだよなぁ」と。

ではマスコミとの違いは何なのでしょう?

そして昨今話題のフェイクニュースと私たちはどう向き合えば良いでしょう?

フェイクニュースをどうすれば見抜けるのでしょう?


フェイクニュースを見抜くために、

特別な専門知識は必要ありません。

私は次の3つの判断基準を意識するだけで、

情報に振り回されにくくなると考えています。

・第一のフィルター:SNSであろうとマスコミであろうと、情報をうのみにしない

・第二のフィルター:ほかの視点・見解が無いか確認する

・第三のフィルター:語られていない情報が無いか確認する(報道しない自由への対策)

2.フェイクニュースの見抜き方・見分け方

昨今は生成AIの発展も相まって、文字情報だけでなく、音声や動画を含む映像も何が本物で何がフェイクなのか判断できなくなりつつあります。

そしてその動きは加速していくことでしょう。

特に私が懸念するのは、メールや電話などの詐欺への対応です。

私はメール上のURLにはアクセスしないなどの「原始的な」対応をしていますが、それもいつまで対処できるか怪しいものです。

以前はGoogleの検索上位に偽サイトが表示されるなんて事件もありました。

国や組織においては、対策や仕組みの強化に期待したいところです。

では個人でできる対応について話を戻しましょう。

大切なことは「認知フィルター(ものの見方)」だと私は考えています。

例えば、情報リテラシーがいくらかある方は「SNSの情報をうのみにしてはいけない」というのは常識ですよね。

一方でご高齢の方の中には「テレビが言うことは正しい」と妄信される方もいらっしゃいます。

そのため、認知フィルターを強化することが必要だと私は思います。

・第一のフィルター:SNSであろうとマスコミであろうと、情報をうのみにしない

フェイクニュース対策の基本となります。

・第二のフィルター:ほかの視点・見解が無いか確認する

自身にとって重要な情報は、複数の情報ソースを確認しましょう。

・第三のフィルター:語られていない情報が無いか確認する

報道しない自由への対策として、「情報の余白」が無いか思考を巡らせることも大切です。



しかし情報の一つ一つにこれらのフィルターをかけていては大変です。

ゆえに、この情報過多の現代において「自身に入力する情報の選定」も必要になってくるでしょう。

もしかすると現代社会では、入力される情報量自体が多すぎるのかもしれません。

しかし全くSNSやテレビを見るなと言うのも極端な話でしょう。

・SNSやテレビなど情報に触れる時間を振り返ってみる
・自身にとって重要でない情報は「話半分」にうけとめる
・生活や人生にかかわる情報は上記のフィルターをかける

例えば交通事故や事件などのニュースに触れてばかりだと気が滅入ってしまい、「世の中悪いことばかりが起きている」という認識に傾倒する恐れは無いでしょうか?


すべての情報に疑いを持つのは疲れてしまいます。

私の場合、「自分の健康に関わること」「大切なお金が動くこと」「特定の誰かへの怒りを煽るような政治的な主張」に関しては、全力でフィルターをかけるようにしています。

それ以外、例えば趣味の話やちょっとした雑学などは「へぇ、そうなんだ」と、あえて話半分に流すことで、心の平穏を保っています。

自身と情報とのかかわりが適切かどうか、今一度考える必要があるのではないか思う次第です。

3.マスコミとは?個人との違いは?検索結果をまとめました

①マスコミのあり方

『』で囲んだ部分は私が疑問(不信)に思うところです

検証プロセスと信頼性:

マスコミ(新聞、テレビ、ラジオなど)は、不特定多数(マス)に向けた情報伝達を目的としており、情報の正確性を期すために複数の情報源の裏付けや事実確認といった『公式な検証プロセス』を経ます。

これにより、『一般的に高い信頼性』が期待されます。

責任の所在:

報道内容に誤りがあった場合、運営元である企業や組織が『明確な法的・社会的な責任を負います』

影響力:

広く不特定多数の人々に情報を届けるため、社会的な影響力が非常に大きいです。

目的:

『公共性や社会貢献を意識し、客観的な事実や論評を提供することが主な目的』です。

②個人の情報発信(SNSや個人ブログ)

検証プロセスと信頼性:

個人や小規模な運営者が自身の意見、経験、日常などを自由に発信する媒体です。

情報の検証プロセスは運営者に依存し、公式な裏付けがない場合も多いため、情報の真偽や信頼性は発信者個人の判断に委ねられます。

責任の所在:

内容に間違いがあった場合の責任は発信者個人に帰属しますが、その影響力や責任追及の度合いはマスコミほど大きくない場合が多いです。

影響力:

基本的に発信者個人のコミュニティや興味関心のある層に限定されるため、マスコミに比べて影響力は小さいことが多いです(ただし、人気ブロガーの場合は例外もあります)。

目的:

読者との共感や交流、個人のブランディング、広告収益(アフィリエイト)などが主な目的となり、主観的な意見や個人的な見解が多く含まれます。

③私の所感

マスコミと個人発信のあり方について

個人の情報発信についてはおおむね同意です。

しかしマスコミについてはどうでしょう。

何だか読んでいて、冷笑してしまったのは私だけでしょうか?

・報道内容に誤りがあったとき、何が起きているでしょう?たいてい「ごめんなさい」して終わっていないでしょうか?

・公共性や社会性が果たしてあるのでしょうか?偏向報道ならかわいいものです。彼らの用いる「報道しない自由」は気づきがたい恐ろしさがあります。

・組織としての情報収集や検証の仕組みが確立しているのは確かです。しかしそれが適切に機能しているでしょうか?私たちは放送倫理検証委員会を毎日チェックするわけにもいきません。

補足:放送倫理・番組向上機構(BPO)の事例

マスコミの検証プロセスは確かに存在しますが、近年もBPOから放送倫理違反の指摘を受けた事例が複数あります。

例えば、日本テレビ『月曜から夜ふかし』(2025年3月放送)では、中国出身女性の街頭インタビューを発言趣旨と異なる内容に恣意的に編集し、BPOから放送倫理違反と認定されました。

同様に、毎日放送『ゼニガメ』(2023〜2024年複数回)では業者の偽装演出が繰り返され、特に最終回で事実確認の不備が厳しく指摘されています。

これらの事例は、謝罪が行われた後も第三者機関が違反を認定する現実を示しており、組織的検証の限界を浮き彫りにします。

また、これらのケースを見ると、誤りに対する「ごめんなさい」だけで終わらず、第三者機関の検証が必要となる現実が浮かび上がります。

そして第三者機関の検証は時間を要します

私たちの中に誤った認識が定着して、しばらく経過してから検証結果が出ることもあるでしょう。

私自身のブログを振り返る

私のブログは個人の主観に基づく情報発信です。

目的は私の生存のための利益獲得です。

利益獲得のため、読んでいただける方に少しでも価値ある内容を提供できるよう精進しております。

発達障害の特性もあるのかもしれませんが、「嘘をつくことに激しい抵抗感」があります。

これが生きづらさの根幹の一つでもあるのですが、、、それゆえにアフィリエイト商品の記事などは苦手にしております。

つまり利益を追求する以上、公共性は存在しません

しかし利益を追求する以上、社会性を持たないと見向きもされないため、記事内容は精査しています

それゆえに私の記事は主観が多めにならざるを得ませんが、「少なくとも、自分が事実だと確信したもの、あるいは心から感じたことしか書かない」

これが私なりの誠実さの示し方です。

私のマスコミ嫌い

私は本当に生き辛いことに、本音と建前をうまく活用できません。

それゆえに建前上は公共性を唄うマスコミを毛嫌いしているのかもしれません。

彼らは公共性や社会性を掲げる一方で、スポンサーと自社、そして特定の国に不都合なことは語りません。

どこぞの国がブータンとの係争地域で入植を進めていることなんて、たまたま昨日知ったばかりです。

当該国に対しては「あぁ、あの国だものね」と諦観しつつある一方で、

報道しないマスコミへの不信感は増すことになりました。


一方で、この毛嫌いが発展すると陰謀論に傾倒する危うさもあります

思考と行動が極端になりがちな私です。

毛嫌いも程々にと理性が働きかけてきます。

だからSNSの情報発信とマスコミのそれは、私の中で信頼性はさほど違いはない、とすると言い過ぎですが似たようなものです。

4.フェイクニュースについて考える

①フェイクニュースの歴史や概要

言葉の初登場:19世紀後半から存在

フェイクニュースとは、事実のように見せかけて意図的に拡散される虚偽または誤解を招く情報のことです。

「フェイクニュース」という言葉自体は最近作られた造語ではなく、130年以上前から存在しています。

初出: 記録に残っている最古の使用例の一つは、1890年代の米国メルウォーキーの新聞(Milwaukee Daily Journal)とされています。

当時の文脈: 当時は「イエロー・ジャーナリズム」と呼ばれる、部数稼ぎのために扇情的な見出しや虚偽の情報を流す手法が横行しており、それらを指す言葉として使われ始めました。

現代的な広まり: 2016年の米国大統領選挙中に、SNS上で拡散された「教皇がトランプ氏を支持した」といった捏造されたニュースを指す言葉として、再び脚光を浴びました。

トランプ氏による言葉の「再定義」

ドナルド・トランプ氏は既存の主要メディア(マスコミ)を攻撃する武器としてこの言葉を多用しました。

トランプ流の使い方: 本来は「完全に捏造された嘘のニュース」を指す言葉でしたが、トランプ氏は「自分に批判的な報道」や「不都合な事実を報じる既存メディア」を指して「フェイクニュース」と呼びました。

象徴的な場面: 2017年1月の当選後初の記者会見で、CNNの記者に対し「You are fake news(お前たちはフェイクニュースだ)」と言い放ったシーンは、世界に強い印象を与えました。

既存メディアへの不信感: トランプ氏は、ニューヨーク・タイムズやCNN、NBCなどの大手メディアを「国民の敵」と呼び、それらが報じる内容をフェイクであると主張することで、支持層の結束を固め、メディアの信頼性を揺さぶる戦略をとりました。

なお、トランプ氏は自身がこの言葉を「発明した」と主張したこともありますが、実際には前述の通り19世紀から存在していた言葉を、政治的なラベル(レッテル貼り)として転用・普及させたというのが正確な歴史的経緯です。

フェイクニュースについての私の所感

既存メディアに抵抗感のある私にとっては、彼らの報道のいくつかをフェイクニュースとする点において、トランプ氏と同意見です(報道のすべてがとは言いません)。

しかしマスコミの論調は「フェイクニュースはSNS上で発生している」というものであることが、私の不信感を募らせています。

5.おわりに

・マスコミと個人の違いは組織性・仕組みの有無にある

・しかしその組織性や仕組みが適正に機能しているかは疑問の声もある

・SNSなどの個人発信もマスコミのニュースも同程度と言えば言い過ぎですが、

「陰謀論に傾倒しない程度に疑いを持つフィルター」が必要です。

 SNSとマスコミ、いずれも完全な存在ではありません。

私はマスコミに不信感を持っていますが、それをみなさまに押し付ける意図はありません。

しかし今後の世界は情報の精査や対処がより困難な時代が到来するかもしれません。

情報に惑わされることなく、心穏やかに過ごしていきたいものですね。



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